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パートナーシップ証明書と民法が定める婚姻法制との関係 [教育]

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民法上、夫婦間の個別の契約の有無にかかわらず、婚姻することによって法律上当然に以下の効果が生ずる。
1 人格的効果
① 同居・協力・扶助義務(民法第752条)
② 貞操義務(民法第770条第1項第1号)
2 財産上の効果
① 婚姻費用の分担(民法第760条)
② 日常家事債務の連帯責任(民法第761条)
3 その他の効果
① 相続人となる(民法第890条)
② この嫡出化(民法第772条、第789条)
③ 解消には離婚を要する(民法第763条)
④ 氏の共通(民法第750条)
⑤ 親族(姻族)関係の発生(民法第725条)
⑥ 成年擬制(民法第753条)


条例案では、
・区長によるパートナーシップ証明が行われても、それ自体から、当事者間に権利義務関係が生ずることはなく、左記のような効果が生ずることもない。
・パートナーシップ証明の前提として任意後見契約を締結していることから、それが登記され、家庭裁判所が任意後見監督人を選任することによって、任意後見人が本人を代理することができるようになる。
・パートナーシップ証明の前提として区の規制で定める事項についての合意契約が締結されていることから、その内容に応じ、当事者間に権利義務が生ずる。
タグ:仕事 教育
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二つ目は、ホムルズ海峡での機雷敷設です。 [外交・安保]

「新三要件」を満たす状況に関する主要答弁
平成27年 2月16日衆・本会議 安倍先生答弁(対岡田議員(民主))抜粋

二つ目は、ホムルズ海峡での機雷敷設です。
 海洋国家である我が国にとっては、国民生活に不可欠な資源や食料等を輸送船舶の安全確保は極めて重要です。我が国が輸入する原油の約八割、天然ガスの二割教はホムルズ海峡を通過しており、ホムルズ海峡はエネルギー安全保障の観点から極めて重要な輸送経路となっています。
 仮に、この海峡の地域で武力紛争が発生し、ホムルズ海峡に機雷が敷設された場合には、かつての石油ショックを上回るほどに世界経済は大混乱に陥り、我が国に深刻なエネルギー危機が発生し得ます。我が国の石油備蓄は約六カ月ありますが、機雷が除去をされなければ危険はなくなりません。
 石油供給が回復せず、我が国の国民生活に死活的な影響が生じるような場合には、状況を総合的に判断して、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況に当たり得ると考えられます。
http://tomokazu-sato.blog.so-net.ne.jp/2014-02-09
タグ:外交・安保
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エドマンド・バークは保守主義が小さな政府 [思想]



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ケインズ―早熟な警世家 [読み物]

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 ヴィクトリア朝(一八三七―一九〇一)も末期に至ると、一九世紀において自由貿易と金本位制そして「世界の工場」と称された産業力により築かれたイギリスの覇権にも翳りが見え始めた。帝国主義戦争により植民地は増えていたし、貿易と海外投資はいまだに莫大な富をもたらしてはいた。けれども一方では、南北戦争の危機を脱したアメリカとともに、ドイツが海外市場の獲得をめざしてイギリスの権益を脅かしていた。
 ドイツでは技術革新も目覚ましく、とりわけ企業を大規模化したことで化学・電気・自動車産業など大量生産の分野に新境地が拓かれていた。一八八〇年代にはイギリス国内にもドイツ製品が溢れるようになり、それまで世界に向け唱えていた自由貿易の理念にも疑惑の目が向けられて、イギリスでは「公正貿易」運動や一八九〇年代の「反ドイツ製品」キャンペーン、一九〇三年にはJ・チェンバレンの「関税改革」運動が展開された。
 一方、一九世紀末のドイツはナショナリズムに沸き立ち、ヴィルヘルム二世は一八九六年に「世界政策宣言」を公表した。一八九八年から一九一二年まで、五次におよぶ「艦隊法」によって海軍力を拡大し、イギリスと「建艦競争」を戦うまでになっていた。ドイツの勢力拡大により、イギリス生まれのケインズとオーストリア生まれのハイエクは、運命の糸で結びつけられることになった。
 世紀末のイギリス経済には、「オーバー・コミットメント」と呼ばれる既存産業への固執と企業家精神の衰弱、失業が広がっていた。すでにウィッグ党は自由党に改組、参政権の拡大と政治改革を受けリベラル化しており、社会主義の発展を目指すフェビアン協会も発足していた。イギリスは、古典的な自由主義を唱える先導者ではなくなっていた。
 ケインズ(John Maynard Keynes)はイギリスに没落の兆しが見え始めた一八八三年六月五日、イギリスの大学町・ケンブリッジに生まれた。父ネヴィルは経済学者、母フローレンスは社会事業家であった。当時のイギリスではピューリタニズムの再興とも評される福音主義が興隆し威厳や礼節が強調されたが、児童労働や売春など社会の暗部も存在して、モラルには裏表があり偽善が瀰漫していた。貴族である地主、新興の実業家、上級労働者、下級労働者からなる階級社会であったヴィクトリア朝時代の社会秩序は福音主義の教えと社会的服従に依存し、そうした偽善に疑問を感じる若者たちの間には、「権威の危機」が広がっていた。
 ケインズは一八九七年、上流階級の子弟にとっては憧れの的であったイートン・カレッジに入学すると、さっそく哲学と古典、歴史学に才能を示した。一九〇二年にキングズ・カレッジ(ケンブリッジ大学)に進学、様々な学生団体に加わり、なかでも一部の選ばれた人々で構成され外部には秘密とされた哲学討論集団「ザ・ソサエティ」(通称「使徒会Apostles」)に属した。
 ケインズが二〇歳になる一九〇三年、G・E・ムーアが『プリンキピア・エティカ』を発表した。B・ラッセルも同年『数学の原理』を出版し、事実上この年に「分析哲学」が発足する。彼らが探求したのは、イギリスで当時人気の高かったヘーゲル哲学を始めとする種々の観念論や形而上学によらず判断の根拠を示すことができ、科学や倫理の基礎を固めうる哲学であった。とりわけムーアは「善い good」とか「べき」、「行為」などの哲学言語を分析することにより、哲学上の問題とされたものを解消しようとした。
 ムーアは『プリンキピア・エティカ』で、「社会にとって有益である」とか「誰かにとって好ましい」は、「善さ」とは同義ではないと主張した。社会や他人のために自己犠牲をも厭ってはならぬというモラルは、「善さ」とは必ずしも一致しないと言うのである。この主張はケインズを驚かせ、感激させた。「社会にとっての有益さ」を目指す政治家の偽善的行為にせよ、「誰かにとっての好ましさ」を示す経済的成功にせよ、ともに人生の目的とは限らぬと言うのだ。この指摘は、ヴィクトリア朝において紳士に課されたような義務に偽善を、社会が求めた金銭的成功に低俗さを感じ取っていたケインズら青年たちの心をつかみ、偽善や低俗さからの解放を可能にするものと受け取られた。
 ムーアはさらに同書末尾で「理想的なもの」を論じ、善は外部の世界や時間の経過から離れて精神の内部で愛や真や美とともに直覚されるとして、「人間的な交わりの喜びと、美的対象物を楽しむこと」がもっとも高い価値を有すると述べた。この教えに接したケインズは、「感動的で陶酔的、一つのルネッサンスの始まり、地上における新しい天国の開始であり、われわれは新しい摂理の到来を告げてまわる伝導者として、何も恐れることはないのだと感じていた」とまで記している。この託宣により、社会や他人、金銭や効用に還元されることのない交遊や観照が是認された。人は内面をあやつる倫理と外面から拘束する道徳や慣行とでみずからの行いを方向づけるものだが、内面のみ見つめて外からの縛りはうち捨ててよいとみなしたのである。ムーアのこの教えに従って、使徒会では真理のみが重視され、意見を翻すことに躊躇してはならないとされた。後年、ケインズは様々に意見を変えたが、それには使徒会での経験が反映されている。
 ムーアの倫理学は、使徒会や若き芸術家・文学者の集いである「ブルームズベリー・グループ」において「寝床で若い男に髭を剃ってもらう」ような同性愛者としてふるまっていたケインズに、正当化の論拠を与えたかに思われた。ケインズが終生、貨幣愛を「エセ道徳」と嫌悪したのも、将来に備えて貯蓄するより現在の一瞬に燃焼することを優先するこうした教えに従ったせいであろう。
 ケインズは後年、経済学の師マーシャルについてR・F・ハロッドに「ねえ君、彼はまったくばかげた人間だったよ」と侮蔑的に語ったというが、師の有名な「暖かい心に冷たい頭脳」なるモットーにも、ヴィクトリア朝的道徳観の偽善性を感じ取ったということなのであろう。けれども、かといって、ケインズが慣行に対し侮蔑のみを向けたとまでは言えない。友人・家族への親愛や行政組織における責務などにつき、ケインズは誠実であった。もっともヴェルサイユ条約の内容に憤激して大蔵省を辞し、ロシア人バレリーナを娶るという型破りなやり方が、彼なりに社会に筋を通す振る舞いだったのではあるが。
 けれどもケインズには、ムーアの哲学には不徹底な部分があると思われた。そこで一九〇四年、使徒会においてその修正を図る「行動に関する倫理」と題する論文を発表する。そしてマーシャルやピグーの個人授業を受けつつも、一九〇六年の大学卒業後はいったんインド省に入省、一九〇八年にこのテーマを発展させた確率にかんする論文を書き上げた(確率にかんする構想はふくらみ、一九二一年になってようやく『確率論』として出版にこぎ着けている)。マーシャルの薦めもありインド省を辞してケンブリッジ大学に戻ったケインズは、翌年にはフェローの資格を得て学部では金融論を担当した。一九一一年には三四年間その職を務めることになる学会誌『エコノミック・ジャーナル』の編集を引き受け、さらに自由党の活動にかかわるようになる。一九一三年、当時支配的であったA・マーシャルの貨幣数量説をインドの貨幣制度改革に適用した『インドの通貨と金融』を出版する。
 ケインズが三一歳になった一九一四年六月二八日、オーストリアの皇太子夫妻がボスニア州都のサラエヴォでセルビア人青年に銃撃を受けて死亡、オーストリアはセルビアに宣戦布告し、複雑な利害関係にあった列強も次々に参加していった。第一次世界大戦の幕開けである。英独両国はついに衝突することとなったのである。ドイツ・オーストリアの同盟国はロシア・フランス・イギリス・日本の連合国と戦い、戦闘は一九一八年一一月にドイツが休戦を申し込むまで続いた。
 この間、ケインズは一九一四年の金融恐慌に際して大蔵省から協力を要請され、一九一五年には同省に入省している。さらに一九一七年、イギリスの対外金融を取り仕切る新設のA課の課長となり、同盟国間の国際貸借を担当、イギリスの融資によって連合国軍が物資を購入する制度の確立やドイツに対する賠償請求額の算出に奔走した。
 一九八センチの長身で風采がよく、ブリッジ・ゲームをたしなみ噂話で人を楽しませたケインズはすでに有能な大蔵省官僚であると目されており、大戦終結後の一九一九年、パリ講和会議に大蔵省首席代表として列席する。賠償額を妥当な線に抑えることに同意するようイギリス首相のロイド・ジョージに働きかけたがそれに失敗すると、なんと議決に反対し大蔵省を辞職、自説を『平和の経済的帰結』(一九一九)として出版する。直前まで眼前で接してきたG・クレマンソー、W・ウィルソンらの巨頭を、随行した一大蔵官僚が生々しくかつ皮肉に描写したわけで、話題を呼ばないはずがない。こうしてケインズは一躍時論家として名声を得ることとなった。
 この本でケインズは、連合国がドイツに期待する賠償額は支払い不可能であること、ヨーロッパの繁栄は複雑な連帯に依存するものでありそうした請求を強行すればすべてが破綻してしまうだろうこと、請求額の中に恩給や諸手当を入れるのは信義に反するということ、そしてドイツに対する正当な請求額はドイツの支払い能力の範囲内とすべきことを説いた。さらにケインズは、戦後の金融市場の安定のため連合国は互いの負債を完全に取り消すこと(これはアメリカに二〇億ドルという巨額の債権を放棄させることを意味した)、インフレがもたらすであろう富の恣意的な再配分もまた資本主義を崩壊させること、かといって物価統制は不当であることを訴えた。賠償と戦債をめぐっては続編の『条約の改正』(一九二二)でも追及している。

松原隆一郎『ケインズとハイエク 貨幣と市場への問い』講談社現代新書2011
第一部 伝記―二つの人生とまなざしの交錯
第一章 交友と衝突
より26~33ページ
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ムーアの宗教を受容し、道徳を退ける―『確率論』 [読み物]

2015-01-26 19.58.01×96.jpg画像は御参考まで
 『確率論』が書かれた動機の一つに、学生時代の哲学の師ムーアの『プリンキピア・エティカ』(一九〇三)を乗り越えるということがあった。ムーアはラッセルとともに分析哲学を創始したとされる人物であり、ケインズはムーアを心底から敬愛していたが、ムーアの書にはどうしても納得が行かない箇所があった。その箇所を修正し、ムーアが本来書くべきだった道徳哲学を完成させようとケインズは目論んだのである。
 ケインズの来歴を記した第一部でも触れたが、彼が物心ついた頃のイギリスでは、威厳や礼節が強調されるとともに社会には暗部も存在し、二重規範や偽善が瀰漫していた。二〇歳を迎える頃のケインズは偽善的な世俗倫理を拒否するようになり、不道徳であっても真に倫理的でありうることは可能と考えていた。そして彼のそうした振る舞いを正当化してくれるのがムーアの倫理学であると思われた。
 世俗の道徳は、「社会にとって有益である」とか「誰かにとって好ましい」という言い方で、特定の行動様式を強いている。倫理学においては、功利主義がそうした論法を支えていた。これに対してムーアは『プリンキピア・エティカ』において、道徳にかかわる問いに先行する基礎命題である「善」は、社会にとっての利益になるとか誰かの効用を高めるといった事実に還元して定義することはできないと主張した(善の定義不可能性)。「善いは善いとしかいえず定義できない」。
 黄色を光の振動で表現したとしても、黄色が分かったことにはならない。「黄色い」というのは、直接の視覚によって識別される何ものかであるからだ。同様に、「善い」も事実によって定義されたり正当化されたりはしない。何が善かは直覚されるだけであり、内観による真摯な吟味こそが必要である。「善」は内在的価値を有する何ものかであって、それを感覚器官でとらえることのできる自然に還元するのは「自然主義的誤謬」である。「善い」は、「益がある」とか「好ましい」などの自然主義的述語には還元できない。先行命題の性質を他の事実に安易に還元することは、「自然主義的誤謬」なのだ。よって功利主義は誤謬を犯している。こうムーアは言う。
 とすれば、「社会にとっての有益さ」を目指す政治家の偽善的行為や「誰かにとっての好ましさ」を示す経済的成功は、ともに「善」すなわち人生の究極の目的ではないことになる。ムーアのこの主張は、ヴィクトリア朝において紳士に課された義務に偽善を感じ取っていたケインズら青年たちの心をつかんだ。ケインズが生涯、社会の幸福を最大にすべしというベンサム的な功利主義を「現代文明を蝕むウジ虫」として毛嫌いしたのも、効用の最大化を説くピグーの厚生経済学を一顧だにしなかったのもその表れだし、経済学の師マーシャルについても、「(彼にとって)経済問題の解決は快楽説的計算の応用ではなくて、人間のより高級な・・・・・・能力を行使させるための先行条件であった」と評価している。
 だがケインズには、ムーアには不徹底があるとも感じられた。ムーアは、善をなすための手段である特定の「行為」が正しいかどうかまでは直覚によってはとらえられないから因果的に判断するしかないが、行為の正しさは原因と結果の関係によって論証できると述べている。ところが将来は不可知であるから、どのように行為すれば善さが高まるかは蓋然的にしか分からない。そこでムーアは、常識的な道徳律や一般的規則に服すことを唱えた。
 ムーアの宗教とは、善の直覚にもとづく「時間を超越した、熱烈な、観照と交わり」であり、「美的体験の創造と享受であり、そして知識の追求」であった。一方ムーアの道徳とは、未来の不可知性を論拠に一般的規則の遵守を説くものであった。ムーアが宗教と道徳を併置しようとするのは、ケインズにとっては異様な主張に感じられた。「われわれは、いわば、ムーアの宗教を受け容れたが、彼の道徳を捨てたのである」。
 将来に何が起きるか分からないからといって過去に通用した一般的規則を遵守せよとムーアが言うのは、将来には過去に起きたことだけが起きるという「頻度説」の確立観を前提とするからであろう。しかし将来において新たな種類の事象が起きるなら、過去の体験は役に立たないはずだ。ケインズはこう考え、将来に起きる事象は頻度だけでなく種類すら分からないという不確実性を前提に、確率論の検討に向かった。
 ケインズが原因と結果について推論を行う際に拠り所としたのは、演繹ではなく帰納であった。ヒュームからミルに至るイギリス経験論では、何羽か見かけた白鳥がすべて白かったという具体的経験から「すべての白鳥は白い」という一般的命題を導く推論が、帰納法と呼ばれた。演繹は確実な推論形式であるが、原因と結果の関係が蓋然的でしかない場合には使えない。それに対して帰納的推論は、論理的に確実ではないにせよ、信念として何かしらの合理性をはらんでいる。ここでケインズが取り組んだのは、帰納的推論において信念はどのような合理性を持つのかということであった。
 頻度説はJ・ヴェンが体系化したもので、推論の妥当性は過去の経験的頻度だけを論拠としている。このような頻度確率に対しケインズは、「論理確率」を掲げる。彼は前提とされる命題の集合をh、hから推論され結論となる命題の集合をaとし、hの知識がaに対して度合いαの合理的信念を持つことが正当化されたとき、「aとhとの間に度合いαの確率―関係がある」と言い、a/h=αと書く。
 ケインズは蓋然性を、命題から命題へ、前提から帰結へいたる推論にかかわる何ものかとみなしたのである。それは経験のみならず、個人の主観ないし心理からも独立し、一種の客観性を帯びている。また命題自体の真偽ではなく、命題間の関係の「確からしさ」が問題になると言う。
 ここでケインズは、ムーアが善の定義で用いた直覚主義を命題間の蓋然性にも適用するというアイデアが思いつく。命題間に存在する推論の蓋然性もまた直接知覚され、それ以上は分解されないはずだ、と言うのである。蓋然性とは過去の経験が各命題に対して与えるものではなく、命題と命題にかかわる「確からしさ」なのだ。たとえばある仮説hの一定の証拠eに関し、ラッセルの形式論理学ならば演繹的推論を用い、e/hは0(否)か1(是)かである。けれども我々の日常生活は、そのように確実ではない判断に満ちている。ケインズの帰納的推論は、日常の推論に相当する0<a/h<1の合理的信念を扱うのである。

前掲 松原隆一郎『ケインズとハイエク 貨幣と市場への問い』講談社現代新書2011 第四章 論争後の軌跡―『一般理論』と主観主義へ より 122頁~127頁
ケインズとハイエク―貨幣と市場への問い (講談社現代新書)

ケインズとハイエク―貨幣と市場への問い (講談社現代新書)

  • 作者: 松原 隆一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/12/16
  • メディア: 新書


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