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保守性と非保守性 [読み物]

 進歩的であると考えられる大部分の運動が個人的自由にたいする侵害をさらに進めようと説いている時代に、自由を大切にする人たちはこれに反対するために精力を費やす傾向がある。この点で、かれらは変化にたいして多くの場合、習慣的に抵抗する人たちと同じ立場に立っていることを見いだす。当面の政治問題において、かれらには保守政党を支持する以外に通常、選択の余地がない。しかしわたくしが明らかにしようとしてきた立場は、しばしば「保守的(conservative)」と説明されることがあるとしても、その立場は伝統的にこの名称をつけられてきたものとはまったく異なるものである。
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

自由の擁護者と真の保守主義者とを、それぞれの異なった理想を等しく脅かす動きにたいして、共同で反対させている状態から生じる混同は危険である。
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

真の保守主義は激しい変化に反対する・・・・・・態度である。
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

変化にたいして多くの場合、習慣的に抵抗する
激しい変化
正当で、おそらく必然的な、またたしかに広範にみられる態度
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

社会主義が起こるまで、その反対者は自由主義であった。
[『全集Ⅰ‐7』193頁]

 この三つの主義の相対的な位置について一般的に示される姿は、三者の真の関係をはっきりさせるよりも、むしろ曖昧にする。たいてい一直線上における異なる位置であらわされ、社会主義者は左、保守主義者は右、自由主義者は中間のどこかに位置する。これほど誤解を招くものはない。もし図式を望むならば、それらを三角形に配置し、保守主義者が一角を占め、社会主義者が第二番目の角に向い、自由主義者が第三番目の角に向うように組立てるのがいっそう適切である。しかし社会主義者は長いあいだより強く引っぱることができたので、保守主義者は自由主義的方向よりも社会主義的方向に従う傾向があったし、また急進派の宣伝によって尊敬すべきものとされた考え方を適時取りいれてきた。社会主義と妥協し、その考え方を横取りしてきたのは一様に保守主義者であった。自分自身の目的をもたない中道(the Middle Way)の主唱者である保守主義者は両極端のあいだのどこかに真理があるはずであるとの信念に従ってきた。その結果、保守主義者はいつのときもいずれの方向にせよ、極端な動きを示したほうへ自分たちの位置を移してきたのである。
[『全集Ⅰ‐7』195頁]
<傍点部を、サイズを大きくし更に太字に改めました>

保守主義者は一般にその時代の偏見を単に穏やかにかつ温和にした立場を取るにすぎないが、今日の自由主義者は大部分の保守主義者が社会主義者と分かち合う基本的な概念の一部にたいして、いっそう積極的に反対しなければならない。
[『全集Ⅰ‐7』194‐195頁]

言語、法律、道徳、慣習等の自生的に成長した制度の意味に理解を示したのであって、自由主義者はそこから利益を得たといってよい
自由な成長にたいする保守主義者の賛美は一般に過去についてのみである
設計されざる変化を歓迎する勇気
自由主義の立場は勇気と確信にもとづき、どのような結果が生じるかを予想できなくても、変化の方向をその進むにまかせる態度に基礎をおいている。
[『全集Ⅰ‐7』197頁]

将来を見るにあたって、保守主義者には自生的な調整力に対する信頼が欠けている。自由主義者にはこの信頼があって、適応がどのように成し遂げられるのかを知らなくとも、不安なしに変化を受け入れるのである。とくに経済の分野において市場の自己調整力が特定の事例において、どのように働くかを誰も予言できないとしても、それが新しい状態にたいして必要な調整をどうにかしてもたらすであろう、と想定するのは自由主義的態度の一面をなすものである。人びとがしばしば市場を機能させることを好まない要因としては、需要と供給、輸出と輸入などのあいだに意図的な統制なしに、ある必要な均衡がどのようにもたらされているのだろうかを考えることができないということが、おそらくもっとも強いものであろう。
[『全集Ⅰ‐7』197頁]

 一般に保守主義者は自分たちが正しい目的とみなすもののためにもちいられるなら、強制又は恣意的権力におそらく反対をしないといってよいであろう。もし政府が立派な人間の手にゆだねられるならば厳格な規則によって抑制しすぎてはいけないとかれらは信じている。
[『全集Ⅰ‐7』198頁‐199頁]

本質的に日和見主義者であり、原則を欠いているため(『全集Ⅰ‐7』199頁)

道徳的理念にしても宗教的理念にしても、自由主義者にとっては強制の適切な対象とはならない。しかるに保守主義者と社会主義者はともにそのような限度を認めない。ときどき感じることであるが、社会主義とも保守主義とも違う自由主義のもっとも顕著な特質は、他人の保護領域を直接侵害しない行為の問題にかかわる道徳的信念は強制を正当化するものではないという見解である。このことはまた、悔い改めた社会主義者が新しい精神的な凄まじ棲家を自由主義の囲いよりも保守主義の囲いのなかに求めやすいように見える理由を説明するものかもしれない。
[『全集Ⅰ‐7』200頁]

優秀な人物が
受けついできた基準と価値と地位とは保護されるべきであり、そしてその人たちは公共の問題についてほかの人よりも大きな影響力を持つべきである(『全集Ⅰ‐7』200頁)

保守主義者はある特定の確立した階層秩序を擁護する傾向があり、かれらが尊重する人びとの地位を当局に守らせようと望む。これにたいして、自由主義者はどんな確立された価値にたいする尊敬といえども、経済的な変化の力に対抗してそのような人物を守るために、特権、独占あるいは国家のいかなる強制力にも訴えることを是認しないと信じている。、自由主義者は文化的・知的エリートが文明の発展において演じた重要な役割を十分に知っているが、エリートといえども他のすべての人と同様の規則の下で、自らの能力によってその地位を維持することを証明しなければならないと信じている。
[『全集Ⅰ‐7』200頁]

真の自由主義者は宗教と争わない。
保守主義者と違うところは、自分自身の神聖な信念がいかに深遠なものであろうと、他人にその信念を強制する資格をもつとは決して考えないことであり、そして自由主義者にとって聖なるものと俗なるものは異なる領分であり、混同されてはならないと考えたことである。
[『全集Ⅰ‐7』206頁]

 政府の統制が多すぎることにたいする保守主義者の反対が原則の問題でなく、政府の特定の目的に関係していることは経済の領域においてはっきりとわかる。かれらは産業の分野における集産主義的および指令主義的方法に通常反対する。そしてそこでは自由主義者は保守主義者のなかに友人を見いだすことがある。しかし同時に保守主義者はたいてい保護主義者であり、しばしば農業における社会主義的方法を支持してきた。実際、工業および商業において存在する制限はおもに社会主義的見解の結果ではあるが、農業における同じく重要な制限は保守主義者によってずっと以前に導入された。そして多くの保守主義の指導者たちは、自由企業の信用を落とす努力において社会主義者と競い合ってきたのである。
[『全集Ⅰ‐7』201頁‐202頁]

保守主義は新しい考えに反対する自らの明白な原則をもたない
理論を信用せず、経験によって証明されたもの以外については想像力を欠いているために、保守主義は思想の闘争に必要な武器を放棄している。思想のもつ長期にわたる力に根本的な信頼をおく自由主義と異なり、保守主義はある一定の時期に受けついだ思想の貯えによって拘束されている。そして議論の力を実際には信じていないため、一般に保守主義の最終的手段はあるすぐれた特質を自分勝手に僭称し、それをもとにして優秀な英知を主張するのである。
[『全集Ⅰ‐7』202頁]

 保守主義的態度のもっとも非難されるべき性質は、十分に実証された新しい知識を拒否する傾向があることであって、その理由はそれにともなって生じると思われる帰結の一部が気に入らないということなのである。
[『全集Ⅰ‐7』203頁]

保守主義の非啓蒙主義(『全集Ⅰ‐7』203頁)
既存の道徳的信念が誤りであるとわかった事実の過程に依存していることが実際に証明された場合に、その信念を守って事実の承認を拒否するのは道徳的とはいえないであろう。(『全集Ⅰ‐7』203頁)
生物進化論(『全集Ⅰ‐7』203頁)

 新しいものと変わったものにたいする保守主義者の不信に結びついているのは、国際主義にたいする保守主義者の敵意と耳ざわりな国家主義の傾向である。ここにかれらの思想の闘争における弱さのもう一つの原因がある。われわれの文明を変化させている思想はいかなる国境をも顧慮しないという事実を、保守主義者は変更することはできない。
[『全集Ⅰ‐7』203頁]

この国家主義の偏向こそ、しばしば保守主義を集産主義へ橋渡しすることになる(『全集Ⅰ‐7』204頁)
・・・・・・「われわれの」産業や資源という用語で考えることは、これらの国民的資産が国益に向けられるべきだとする要求からほんの少し隔たっているにすぎない(『全集Ⅰ‐7』204頁)
人が目新しいものを嫌い、自分自身のやり方をすぐれていると思えば思うほど、人は他人を「教化」することを自分の使命と考える傾向がある。(『全集Ⅰ‐7』204頁)


楠茂樹 楠美佐子『ハイエク 「保守」との訣別』中央公論新社
第10章 ハイエク社会哲学の保守性と非保守性
ハイエク『自由の条件』 追論「なぜわたくしは保守主義者ではないのか」

ハイエク - 「保守」との訣別 (中公選書)

ハイエク - 「保守」との訣別 (中公選書)

  • 作者: 楠 茂樹
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2013/04/09
  • メディア: 単行本



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†世俗の支配者と魂の支配者 [読み物]

 ところで人間の究極的な目的は幸福にあり、幸福は神を見ること、神を享受することにある。国家とは、「同一の法と同一の統治の下に善き生活へと向かう人々」の集団である。この国家に集いあう民衆の究極の目的は、たんに世俗の国家において「徳にしたがって生きることではなく、有徳な生活を通して[彼岸において]神の享受へと到達することである」。
 この神の享受へと導くことは、世俗の国家の王の任務ではない。「人間は神の享受という目的を人間的な徳だけでは達成することができず、神の恵みによらなければならない」からである。だからこの役割は地上の王ではなく、聖職者に委ねられる。魂の救済については、王は聖職者にしたがわなければならない。王の任務は民衆の善き生活という目的が実現されるようにすること、そして「民衆の善き生活をそれが天上の浄福へと到達するように、管理すること」である。
 だから王の任務は三つある。すなわち「一つは統治する民衆のために善き生活を確立すること、二つは、確立したものを維持すること、そして三つは維持してきたものを一層の完成へと推進させること」である。

中山元『正義論の名著』ちくま新書2011
トマス・アクィナス『神学大全』――天上の浄福を準備するのが支配者の正義
よりp.059
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追記)ケインズとハイエク [読み物]

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民■党の解党 [読み物]

 近衛を党首と想定する新党運動の勢いに負けて米内が辞任した以上、後継は近衛以外にあり得なかった。しかしすべての政党が解党したあとに近衛新党を打ち立てるシナリオは、第二次近衛内閣がさきに成立したことで狂った。それだけではない。近衛周辺の思惑と異なり、民■党の解党が進まなかった。
 民■党の主流派は内心、斎藤の「反軍演説」を支持していた。民■党は新党運動に対して「その意に通ずる能(あた)わず」と反対する。「如何に非常時なればとて、故なく解消出来るものでない」からだった。
 民■党は中村三之丞(さんのじょう)衆議院議員が言うように「自己改革」を挙げる。「全党員政治の第一戦に奮闘する」。あるいは「党員公儀を尊重する」。そのために「分党政党体制」を改編する。中村にとって民■党に必要なのは「旧政党意識から覚醒」することだった。
 このような「自己改革」をおこなう政党が連携して「統一体制」の下で「強力政治」をおこなう。民■党は既成政党を前提とする新体制をめざそうとした。
 しかし既成政党の「自己改革」による新体制は手遅れだった。民■党がどれほどがんばってみても、その他の政党はつぎつぎと解党していく。既に一九四〇(昭和一五)年七月六日に社会大衆党が解党していた。同月一六日には政友会正統派(久原派)、三〇日には政友会革新派(中島派)がそれぞれ解党する。
 新党運動に乗り遅れるな。このままでは政治的に座して死を待つことになる。それならば一刻も早く新党のなかに座席を確保しよう。大方の政党がこの考えだった。対する民■党は「何処(どこ)に行く汽車か判(わか)らぬ中に乗るような馬鹿はいない」と批判する意見があった。民■党は新政治綱領をとおして「自己革新」を遂げることで、今の政党の立場に止まろうとした。しかし出来上がった新政治綱領案は、時代の流れに即応するかのように、「議会中心主義」を削り、「国体の成果を顕揚」するとの項目を加えた。このような民■党に止まっても仕方がない。脱党者が相次ぐ。七月二五日には四〇名が新党に参加するために脱党した。残された町田総裁のグループは孤立無援となった。やむなく民■党も八月十五日に解党する。
 すべての政党が解党したあとはどうなるのか。民■党の北昤吉衆議院議員は党機関紙の七月号で予言する。「既成政党が解消して、大合同を遂げて強力新党を作り上げても大したことは出来るものではない。一国一党のドイツ、イタリアの跡を追わんとして、政党法でも設けて、政府反対党の禁止をやることは憲法の規定に戻って、近衛公の賛成し得るところではあるまい」。北は近衛の気持ちを見透かしていた。これでは「ナチス、ファッショの代用品はおろか、国共〔中国国民党・共産党〕合作の再生品どころが落ちであろう。近衛公が財界、学界、各団体の代表者を網羅〔難〕したいというのも無理はない」。
「既成政党の無自覚は政党解消を結果し、近衛公一党の熱情と責任の欠乏とは新党を短命に終わらせるであろう」。北の予言した状況は、「新党」が大政翼賛会に至る紆余(うよ)曲折の補足説明がつけば、ほぼこのとおりになる。
誤:民■党

正:民政党
VII 二大政党の解党とその後,226頁~28頁
井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書2012 102192.jpg
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ケインズ―早熟な警世家 [読み物]

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 ヴィクトリア朝(一八三七―一九〇一)も末期に至ると、一九世紀において自由貿易と金本位制そして「世界の工場」と称された産業力により築かれたイギリスの覇権にも翳りが見え始めた。帝国主義戦争により植民地は増えていたし、貿易と海外投資はいまだに莫大な富をもたらしてはいた。けれども一方では、南北戦争の危機を脱したアメリカとともに、ドイツが海外市場の獲得をめざしてイギリスの権益を脅かしていた。
 ドイツでは技術革新も目覚ましく、とりわけ企業を大規模化したことで化学・電気・自動車産業など大量生産の分野に新境地が拓かれていた。一八八〇年代にはイギリス国内にもドイツ製品が溢れるようになり、それまで世界に向け唱えていた自由貿易の理念にも疑惑の目が向けられて、イギリスでは「公正貿易」運動や一八九〇年代の「反ドイツ製品」キャンペーン、一九〇三年にはJ・チェンバレンの「関税改革」運動が展開された。
 一方、一九世紀末のドイツはナショナリズムに沸き立ち、ヴィルヘルム二世は一八九六年に「世界政策宣言」を公表した。一八九八年から一九一二年まで、五次におよぶ「艦隊法」によって海軍力を拡大し、イギリスと「建艦競争」を戦うまでになっていた。ドイツの勢力拡大により、イギリス生まれのケインズとオーストリア生まれのハイエクは、運命の糸で結びつけられることになった。
 世紀末のイギリス経済には、「オーバー・コミットメント」と呼ばれる既存産業への固執と企業家精神の衰弱、失業が広がっていた。すでにウィッグ党は自由党に改組、参政権の拡大と政治改革を受けリベラル化しており、社会主義の発展を目指すフェビアン協会も発足していた。イギリスは、古典的な自由主義を唱える先導者ではなくなっていた。
 ケインズ(John Maynard Keynes)はイギリスに没落の兆しが見え始めた一八八三年六月五日、イギリスの大学町・ケンブリッジに生まれた。父ネヴィルは経済学者、母フローレンスは社会事業家であった。当時のイギリスではピューリタニズムの再興とも評される福音主義が興隆し威厳や礼節が強調されたが、児童労働や売春など社会の暗部も存在して、モラルには裏表があり偽善が瀰漫していた。貴族である地主、新興の実業家、上級労働者、下級労働者からなる階級社会であったヴィクトリア朝時代の社会秩序は福音主義の教えと社会的服従に依存し、そうした偽善に疑問を感じる若者たちの間には、「権威の危機」が広がっていた。
 ケインズは一八九七年、上流階級の子弟にとっては憧れの的であったイートン・カレッジに入学すると、さっそく哲学と古典、歴史学に才能を示した。一九〇二年にキングズ・カレッジ(ケンブリッジ大学)に進学、様々な学生団体に加わり、なかでも一部の選ばれた人々で構成され外部には秘密とされた哲学討論集団「ザ・ソサエティ」(通称「使徒会Apostles」)に属した。
 ケインズが二〇歳になる一九〇三年、G・E・ムーアが『プリンキピア・エティカ』を発表した。B・ラッセルも同年『数学の原理』を出版し、事実上この年に「分析哲学」が発足する。彼らが探求したのは、イギリスで当時人気の高かったヘーゲル哲学を始めとする種々の観念論や形而上学によらず判断の根拠を示すことができ、科学や倫理の基礎を固めうる哲学であった。とりわけムーアは「善い good」とか「べき」、「行為」などの哲学言語を分析することにより、哲学上の問題とされたものを解消しようとした。
 ムーアは『プリンキピア・エティカ』で、「社会にとって有益である」とか「誰かにとって好ましい」は、「善さ」とは同義ではないと主張した。社会や他人のために自己犠牲をも厭ってはならぬというモラルは、「善さ」とは必ずしも一致しないと言うのである。この主張はケインズを驚かせ、感激させた。「社会にとっての有益さ」を目指す政治家の偽善的行為にせよ、「誰かにとっての好ましさ」を示す経済的成功にせよ、ともに人生の目的とは限らぬと言うのだ。この指摘は、ヴィクトリア朝において紳士に課されたような義務に偽善を、社会が求めた金銭的成功に低俗さを感じ取っていたケインズら青年たちの心をつかみ、偽善や低俗さからの解放を可能にするものと受け取られた。
 ムーアはさらに同書末尾で「理想的なもの」を論じ、善は外部の世界や時間の経過から離れて精神の内部で愛や真や美とともに直覚されるとして、「人間的な交わりの喜びと、美的対象物を楽しむこと」がもっとも高い価値を有すると述べた。この教えに接したケインズは、「感動的で陶酔的、一つのルネッサンスの始まり、地上における新しい天国の開始であり、われわれは新しい摂理の到来を告げてまわる伝導者として、何も恐れることはないのだと感じていた」とまで記している。この託宣により、社会や他人、金銭や効用に還元されることのない交遊や観照が是認された。人は内面をあやつる倫理と外面から拘束する道徳や慣行とでみずからの行いを方向づけるものだが、内面のみ見つめて外からの縛りはうち捨ててよいとみなしたのである。ムーアのこの教えに従って、使徒会では真理のみが重視され、意見を翻すことに躊躇してはならないとされた。後年、ケインズは様々に意見を変えたが、それには使徒会での経験が反映されている。
 ムーアの倫理学は、使徒会や若き芸術家・文学者の集いである「ブルームズベリー・グループ」において「寝床で若い男に髭を剃ってもらう」ような同性愛者としてふるまっていたケインズに、正当化の論拠を与えたかに思われた。ケインズが終生、貨幣愛を「エセ道徳」と嫌悪したのも、将来に備えて貯蓄するより現在の一瞬に燃焼することを優先するこうした教えに従ったせいであろう。
 ケインズは後年、経済学の師マーシャルについてR・F・ハロッドに「ねえ君、彼はまったくばかげた人間だったよ」と侮蔑的に語ったというが、師の有名な「暖かい心に冷たい頭脳」なるモットーにも、ヴィクトリア朝的道徳観の偽善性を感じ取ったということなのであろう。けれども、かといって、ケインズが慣行に対し侮蔑のみを向けたとまでは言えない。友人・家族への親愛や行政組織における責務などにつき、ケインズは誠実であった。もっともヴェルサイユ条約の内容に憤激して大蔵省を辞し、ロシア人バレリーナを娶るという型破りなやり方が、彼なりに社会に筋を通す振る舞いだったのではあるが。
 けれどもケインズには、ムーアの哲学には不徹底な部分があると思われた。そこで一九〇四年、使徒会においてその修正を図る「行動に関する倫理」と題する論文を発表する。そしてマーシャルやピグーの個人授業を受けつつも、一九〇六年の大学卒業後はいったんインド省に入省、一九〇八年にこのテーマを発展させた確率にかんする論文を書き上げた(確率にかんする構想はふくらみ、一九二一年になってようやく『確率論』として出版にこぎ着けている)。マーシャルの薦めもありインド省を辞してケンブリッジ大学に戻ったケインズは、翌年にはフェローの資格を得て学部では金融論を担当した。一九一一年には三四年間その職を務めることになる学会誌『エコノミック・ジャーナル』の編集を引き受け、さらに自由党の活動にかかわるようになる。一九一三年、当時支配的であったA・マーシャルの貨幣数量説をインドの貨幣制度改革に適用した『インドの通貨と金融』を出版する。
 ケインズが三一歳になった一九一四年六月二八日、オーストリアの皇太子夫妻がボスニア州都のサラエヴォでセルビア人青年に銃撃を受けて死亡、オーストリアはセルビアに宣戦布告し、複雑な利害関係にあった列強も次々に参加していった。第一次世界大戦の幕開けである。英独両国はついに衝突することとなったのである。ドイツ・オーストリアの同盟国はロシア・フランス・イギリス・日本の連合国と戦い、戦闘は一九一八年一一月にドイツが休戦を申し込むまで続いた。
 この間、ケインズは一九一四年の金融恐慌に際して大蔵省から協力を要請され、一九一五年には同省に入省している。さらに一九一七年、イギリスの対外金融を取り仕切る新設のA課の課長となり、同盟国間の国際貸借を担当、イギリスの融資によって連合国軍が物資を購入する制度の確立やドイツに対する賠償請求額の算出に奔走した。
 一九八センチの長身で風采がよく、ブリッジ・ゲームをたしなみ噂話で人を楽しませたケインズはすでに有能な大蔵省官僚であると目されており、大戦終結後の一九一九年、パリ講和会議に大蔵省首席代表として列席する。賠償額を妥当な線に抑えることに同意するようイギリス首相のロイド・ジョージに働きかけたがそれに失敗すると、なんと議決に反対し大蔵省を辞職、自説を『平和の経済的帰結』(一九一九)として出版する。直前まで眼前で接してきたG・クレマンソー、W・ウィルソンらの巨頭を、随行した一大蔵官僚が生々しくかつ皮肉に描写したわけで、話題を呼ばないはずがない。こうしてケインズは一躍時論家として名声を得ることとなった。
 この本でケインズは、連合国がドイツに期待する賠償額は支払い不可能であること、ヨーロッパの繁栄は複雑な連帯に依存するものでありそうした請求を強行すればすべてが破綻してしまうだろうこと、請求額の中に恩給や諸手当を入れるのは信義に反するということ、そしてドイツに対する正当な請求額はドイツの支払い能力の範囲内とすべきことを説いた。さらにケインズは、戦後の金融市場の安定のため連合国は互いの負債を完全に取り消すこと(これはアメリカに二〇億ドルという巨額の債権を放棄させることを意味した)、インフレがもたらすであろう富の恣意的な再配分もまた資本主義を崩壊させること、かといって物価統制は不当であることを訴えた。賠償と戦債をめぐっては続編の『条約の改正』(一九二二)でも追及している。

松原隆一郎『ケインズとハイエク 貨幣と市場への問い』講談社現代新書2011
第一部 伝記―二つの人生とまなざしの交錯
第一章 交友と衝突
より26~33ページ
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ムーアの宗教を受容し、道徳を退ける―『確率論』 [読み物]

2015-01-26 19.58.01×96.jpg画像は御参考まで
 『確率論』が書かれた動機の一つに、学生時代の哲学の師ムーアの『プリンキピア・エティカ』(一九〇三)を乗り越えるということがあった。ムーアはラッセルとともに分析哲学を創始したとされる人物であり、ケインズはムーアを心底から敬愛していたが、ムーアの書にはどうしても納得が行かない箇所があった。その箇所を修正し、ムーアが本来書くべきだった道徳哲学を完成させようとケインズは目論んだのである。
 ケインズの来歴を記した第一部でも触れたが、彼が物心ついた頃のイギリスでは、威厳や礼節が強調されるとともに社会には暗部も存在し、二重規範や偽善が瀰漫していた。二〇歳を迎える頃のケインズは偽善的な世俗倫理を拒否するようになり、不道徳であっても真に倫理的でありうることは可能と考えていた。そして彼のそうした振る舞いを正当化してくれるのがムーアの倫理学であると思われた。
 世俗の道徳は、「社会にとって有益である」とか「誰かにとって好ましい」という言い方で、特定の行動様式を強いている。倫理学においては、功利主義がそうした論法を支えていた。これに対してムーアは『プリンキピア・エティカ』において、道徳にかかわる問いに先行する基礎命題である「善」は、社会にとっての利益になるとか誰かの効用を高めるといった事実に還元して定義することはできないと主張した(善の定義不可能性)。「善いは善いとしかいえず定義できない」。
 黄色を光の振動で表現したとしても、黄色が分かったことにはならない。「黄色い」というのは、直接の視覚によって識別される何ものかであるからだ。同様に、「善い」も事実によって定義されたり正当化されたりはしない。何が善かは直覚されるだけであり、内観による真摯な吟味こそが必要である。「善」は内在的価値を有する何ものかであって、それを感覚器官でとらえることのできる自然に還元するのは「自然主義的誤謬」である。「善い」は、「益がある」とか「好ましい」などの自然主義的述語には還元できない。先行命題の性質を他の事実に安易に還元することは、「自然主義的誤謬」なのだ。よって功利主義は誤謬を犯している。こうムーアは言う。
 とすれば、「社会にとっての有益さ」を目指す政治家の偽善的行為や「誰かにとっての好ましさ」を示す経済的成功は、ともに「善」すなわち人生の究極の目的ではないことになる。ムーアのこの主張は、ヴィクトリア朝において紳士に課された義務に偽善を感じ取っていたケインズら青年たちの心をつかんだ。ケインズが生涯、社会の幸福を最大にすべしというベンサム的な功利主義を「現代文明を蝕むウジ虫」として毛嫌いしたのも、効用の最大化を説くピグーの厚生経済学を一顧だにしなかったのもその表れだし、経済学の師マーシャルについても、「(彼にとって)経済問題の解決は快楽説的計算の応用ではなくて、人間のより高級な・・・・・・能力を行使させるための先行条件であった」と評価している。
 だがケインズには、ムーアには不徹底があるとも感じられた。ムーアは、善をなすための手段である特定の「行為」が正しいかどうかまでは直覚によってはとらえられないから因果的に判断するしかないが、行為の正しさは原因と結果の関係によって論証できると述べている。ところが将来は不可知であるから、どのように行為すれば善さが高まるかは蓋然的にしか分からない。そこでムーアは、常識的な道徳律や一般的規則に服すことを唱えた。
 ムーアの宗教とは、善の直覚にもとづく「時間を超越した、熱烈な、観照と交わり」であり、「美的体験の創造と享受であり、そして知識の追求」であった。一方ムーアの道徳とは、未来の不可知性を論拠に一般的規則の遵守を説くものであった。ムーアが宗教と道徳を併置しようとするのは、ケインズにとっては異様な主張に感じられた。「われわれは、いわば、ムーアの宗教を受け容れたが、彼の道徳を捨てたのである」。
 将来に何が起きるか分からないからといって過去に通用した一般的規則を遵守せよとムーアが言うのは、将来には過去に起きたことだけが起きるという「頻度説」の確立観を前提とするからであろう。しかし将来において新たな種類の事象が起きるなら、過去の体験は役に立たないはずだ。ケインズはこう考え、将来に起きる事象は頻度だけでなく種類すら分からないという不確実性を前提に、確率論の検討に向かった。
 ケインズが原因と結果について推論を行う際に拠り所としたのは、演繹ではなく帰納であった。ヒュームからミルに至るイギリス経験論では、何羽か見かけた白鳥がすべて白かったという具体的経験から「すべての白鳥は白い」という一般的命題を導く推論が、帰納法と呼ばれた。演繹は確実な推論形式であるが、原因と結果の関係が蓋然的でしかない場合には使えない。それに対して帰納的推論は、論理的に確実ではないにせよ、信念として何かしらの合理性をはらんでいる。ここでケインズが取り組んだのは、帰納的推論において信念はどのような合理性を持つのかということであった。
 頻度説はJ・ヴェンが体系化したもので、推論の妥当性は過去の経験的頻度だけを論拠としている。このような頻度確率に対しケインズは、「論理確率」を掲げる。彼は前提とされる命題の集合をh、hから推論され結論となる命題の集合をaとし、hの知識がaに対して度合いαの合理的信念を持つことが正当化されたとき、「aとhとの間に度合いαの確率―関係がある」と言い、a/h=αと書く。
 ケインズは蓋然性を、命題から命題へ、前提から帰結へいたる推論にかかわる何ものかとみなしたのである。それは経験のみならず、個人の主観ないし心理からも独立し、一種の客観性を帯びている。また命題自体の真偽ではなく、命題間の関係の「確からしさ」が問題になると言う。
 ここでケインズは、ムーアが善の定義で用いた直覚主義を命題間の蓋然性にも適用するというアイデアが思いつく。命題間に存在する推論の蓋然性もまた直接知覚され、それ以上は分解されないはずだ、と言うのである。蓋然性とは過去の経験が各命題に対して与えるものではなく、命題と命題にかかわる「確からしさ」なのだ。たとえばある仮説hの一定の証拠eに関し、ラッセルの形式論理学ならば演繹的推論を用い、e/hは0(否)か1(是)かである。けれども我々の日常生活は、そのように確実ではない判断に満ちている。ケインズの帰納的推論は、日常の推論に相当する0<a/h<1の合理的信念を扱うのである。

前掲 松原隆一郎『ケインズとハイエク 貨幣と市場への問い』講談社現代新書2011 第四章 論争後の軌跡―『一般理論』と主観主義へ より 122頁~127頁
ケインズとハイエク―貨幣と市場への問い (講談社現代新書)

ケインズとハイエク―貨幣と市場への問い (講談社現代新書)

  • 作者: 松原 隆一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/12/16
  • メディア: 新書


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新シリーズ 15回 [読み物]

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「最も早く、最も激烈な批判を書いたのはウルストーンクラフトであった。彼女は(中略)自然権を、理性的被造物として独立的に善悪判断をする権利という風に、著しく内面化して解釈している」『省察』解説409頁 画像はイメージです
タグ:思想 読み物
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「家族、このすばらしきもの」という価値観 ~美しい国再読~ [読み物]

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 わたしには子どもがいない。だからこそよけい感じるのかもしれないが、家族がいて、子供がいるというのは、損得勘定抜きでいいものだなあ、と思うことがよくある。
 少子化に関する世論調査で「お金がかかるから産めない」あるいは「産まない」という答えをよく目にする。たしかに子育ては大変でお金もかかり、何かを犠牲にしなければならないかもしれない。しかし、そうした苦労をいとわない、損得を超えた価値があるのではないか。
 子どもというのは、親の人生に圧倒的な充足感を与えるものだ。とくに三人以上の子をもった人たちは、充足感が高いという調査結果がある。
 当たり前のようだが、わたしたちは、若い人たちに「家族をもつことのよさ」「家族のいることのすばらしさ」を教えていく必要があるのではないか。いくら少子化対策によって子育てしやすい社会をつくっても、家族とはいいものだ、だから子どもがほしい、と思わなければ、なかなかつくる気にはならないだろう。
 家族が崩壊しつつある、といわれて久しい。離婚率が上がり、シングルマザーやシングルファーザーに育てられた子や再婚家族の子も増えている。現実問題として、少年院に収容されている少年たちの九割近くが、家族に問題を抱えているといわれる。
 誤解されると困るが、そういう家庭に育った人が不幸せだとか、問題を起こすというつもりなど毛頭ない。私の父親の安倍晋太郎も、生まれたときに両親が離婚して、父・安倍寛の郷里に引き取られ、大伯母に育てられた。
 戦時中、翼賛選挙に抗して軍部の弾圧を受けながら代議士を続けた安倍寛は、戦争が終わってこれからというときの一九四六年(昭和二十一年)に五十一歳で急死した。晋太郎が大学生のときだった。
 顔も知らない実の母親を探し歩いたが、再婚先でとうの昔に亡くなっていた。母親代わりだった大伯母も、寛のあとを追うように亡くなった。このとき、わたしの父は、天涯孤独も同然の身の上になったのだった。だから、わたしの父は、母親の愛というものを知らない。「わたしは、ずうっと母親が欲しかった」とよくいっていた。親がいなければ、どんな人間でも淋しい思いをするものだ。
 家族のかたちは、理想どおりにはいかない。それでも、「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と、「そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ」という価値観は、守り続けていくべきだと思う。

第7章 教育の再生
「家族、このすばらしきもの」という価値観
217~219頁
美しい国へ (文春新書)

美しい国へ (文春新書)

  • 作者: 安倍 晋三
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 新書



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政友会の反ファシズム論 [読み物]

 政友会にとって五・一五事件は衝撃だった。たとえば政友会の衆議院議員星島二郎は言う。五・一五事件とは「政党の一部腐敗を憤激する余りに全政党政治を否認し、そのために先ずその首領を斃して了おうといったような極端ファッ〔シ〕ョの一表現」だった。「政党政治を否認し、進んでは議会政治をも打ち壊さんとする意味に於けるファッショは、断固として排撃せざるを得ない」。
 欧州ではイタリアでムッソリーニのファシズムが台頭していた。星島は批判する。「ムッソリーニは偉いかも知れんが、イタリイの民衆と日本の民衆を同一視されては困る」。星島の見るところ、貧困層の多いイタリアの現状は、幕藩体制化の日本の現状に等しい。独裁政治は続くはずはない。星島はイタリアだけでなく「亦ドイツがどんなになっても結局議会を守らなければならない」と議会政治を擁護する。
 他方で星島は認める。「政党政治が漸くここに四五年来本調子となり来った時に於いて、既に一部にその弊害の現れて来たことは事実である」。どうすれば政党政治の悪い点を克服できるのか。五・一五事件の誘因となった議会政治の体たらくを反省する星島は、「新議会主義」を提唱する。
「新議会主義」とは、憲法改正をともなうような議会政治の改革だった。いかにそのまま引用する。
「議会を構成する政治家の頭が悪ければ変えてかからなければならぬ。憲法に改正を要する点があれば、これも変えなければならぬ。両制度に不都合があればこれも変えるがいい。選挙法も同断、現行法が不完全ならばこれも完全にし、その他財閥擁護の結果となれる現行の諸財政諸税政策も大立直しを断行して、然る後に議会を守れというのである。或はこれは革命に近い程の大改革になるかも知れないが、それも議会政治の完成のためには止むを得ない」。
 自ら招いた議会政治の危機に立ち向かうためには、ここまで徹底しなくてはならなかった。
 犬養内閣の崩壊後、次の内閣を組閣したのは、ロンドン海軍軍縮条約に賛成した海軍「穏健派」の長老、斉藤実だった。非政党内閣=「挙国一致」内閣に対して、鈴木喜三郎新総裁が陣頭に立ち、政友会の幹部は全国遊説を開始する。各地での大会はつぎつぎと決議文を採択した。優先順位の第一位は「政党政治ノ完璧ヲ期ス」だった。

V 危機のなかの二大政党制 3 二大政党のファシズム批判
142~144頁
井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書2012
タグ:歴史 読み物
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2014-05-05 [読み物]

2012年11月25日
「実物的に均衡しているとき、与件に変化のない静態では変動は起きようがないから、均衡の撹乱は外部における与件(主な「経済データ」としてのニーズや能力)の変化によって生じているはずである。」前掲同書p.67

2012年11月6日
「景気循環とは生産過程が伸縮することである。」ふむふむ。前掲同書p.86

2012年11月6日
「オーストリー学派は消費財への成熟を待っている中間生産物の総体を資本とみなし」前掲同書p.302 注第ニ章15

2012年11月4日
投資と貯蓄を均衡させるのが、ヴィクセルの言う「自然利子率」である。前掲同書p.68

2012年11月3日
知識を客観的データとみなすところから、社会主義やマクロ経済学といった傲慢な思想が生まれた。市場経済とは、それぞれの主体が知覚してさえいないルールや法に従い、利潤を挙げた成功者を模倣することで生み出される「自生的秩序」である。前掲同書p.50

2012年11月3日
ハイエク自身は深い信念をもって自由主義経済を支持していた。「時と所についての特定の状況にかんする断片的な知識」を有するだけの人びとが、秩序を自生させられるための装置として市場をとらえるアイデアが、(中略)芽生えていた。松原隆一郎『ケインズとハイエク』p.46



松原隆一郎『ケインズとハイエク』講談社2011
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読み物 [読み物]

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「政治家にとって行動原理の重要性を強調したバークは、ずっと以前から、政治家即行動の場における哲学者という自己規定をしており、その意識は生涯変ることはなかった。」『省察』解説393頁 画像はイメージです
タグ:思想 読み物
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何故阿部内閣は崩壊し、後継が■■になったのか。 [読み物]

阿部内閣は対米外交で具体的な成果を上げることができず、日中戦争の解決も見通しが立たなかった。国内では■■■■■法の全面的な発動にともなう■■の混乱がひどくなった。政党の側から倒閣運動が起きる。阿部は辞任する。

VII 二大政党の解党とその後
222頁
井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書2012

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政友会の反ファッショ化 [読み物]

 二・二六事件以前には陸軍皇道派と結んでファッショ色を強めていた政友会にも、二月二〇日選挙での敗北と二六日事件の鎮圧を機に、変化があらわれてきた。政友会と民政党とが提携して軍部に対抗しようとする政民連携派が優勢となってきたのである。一九三七(昭和一二)年一月の第七〇回通常議会で政友会を代表して質問に立った浜田国松の、いわゆる割腹問答が、この派の立場を示している。彼は次のように述べている(原文片仮名)。

 「軍部の人は大体において、我国政治の推進力は吾らに在り、乃公出でずんば蒼生を如何せんと云う既を持って居らるると云うことは事実である。(中略)この空気と云うものは、軍部における思想の底を流れて潦々として尽きざるものである。(中略)五・一五事件然り、二・二六事件然り、軍の一角より時折種々なる機関を経て放送せらるる所の独裁政治思潮に関する政治意見然り。(中略)この底を流るる所の、ファシズムと申しますか、独裁思想と申すか、(中略)粛軍の進行と共に独裁的思想の重圧と云うものを並行して行えるものか否やと云うことに、我々は着眼をして居ったのである。」(同前書、第六八巻、三六頁、傍点筆者)

 「粛軍」すなわち陸軍ファッショ派の鎮圧の後に、陸軍全体が「ファシズム」に向うことの矛盾を鋭く衝いたのである。

 先に記したように、明治憲法の定める権限内では、立法府は行政府と並ぶ国家機関であったから、衆議院での発言は自由であった。浜田もこのことを自覚しており、この軍部批判に先立って、「なにものにも拘束牽制せられざる〔議員の〕自由をもちまして、国民の名において現下の国政に対して忌憚なきお尋ねを申し上げる」と前置きしている(同前書、三五頁)。
 しかし、それを前提にしても、正面から陸軍をファシズム呼ばわりした浜田の演説は、過激すぎるものであった。激怒した寺内寿一陸相は、「先程から浜田君が種々お述べになりました色々の御言葉を承りますと、中には或いは軍人に対しまして聊か侮辱さるるような如き感じを致す所」があると反論した。(同前書、四三頁)
 ここから浜田議員と寺内陸相の「割腹問答」が始まった。浜田は、「苟も国民代表者の私が、国家の名誉ある軍隊を侮辱したという喧嘩を吹掛けられて後へ退けませぬ」と寺内に迫り、寺内がただ「御忠告申した」だけであると答えると、浜田が次のような爆弾演説をしたのである。

 「私は年下のあなたの忠告を受けるようなことはしない積りである。あなたは堂々たる陛下の陸軍大臣である。併しながら、(中略)不徳未熟の衆議院議員浜田国松も、陛下の下における公職者である。(中略)あなたに忠告を受けなければならぬことを、この年を取って居る私がしたなら、私は覚悟して考えなければならぬ。(中略)速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら、割腹して君に謝する。なかったら君割腹せよ。」(同前書、四五頁)
 
 衆議院本会議でここまで罵倒された陸軍大臣は寺内寿一が初めてであろう。憤った寺内は広田弘毅首相に衆院の解散を迫った。
 しかし、挙国一致内閣には与党も野党もない上に、陸軍と政友会のどちらを支持するかを総選挙で問うわけにもゆかない。広田首相は元老西園寺の使いに対して、「あの二・二六事件後の急場に大命を拝して今日までまず無事に来たが、今日の情勢では到底大命を果し得ないように感ずるから、今日総辞職することが適当と思う。」と述べて、一月二三日に総辞職した(『西園寺公と政局』第五巻、二四〇頁)。浜田演説の二日後のことである。

第6章 危機 1925-1937
423~426頁
坂野潤治『日本近代史』ちくま新書2012
<傍点部を、サイズを大きくし更に太字に改めました>
日本近代史 (ちくま新書)

日本近代史 (ちくま新書)

  • 作者: 坂野 潤治
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/03/05
  • メディア: 新書


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政友会のファシズム批判=二大政党制の擁護 [読み物]

 対外危機の沈静化は国内政治に影響を及ぼす。政友会の二大政党制=「憲政の常道」論が息を吹き返す。政友会顧問加藤久米四郎(かとうくめしろう)は議会政治に対する世界的な「ファッショ」政治の挑戦を「一時的なもの」と退ける。なかでもヒトラーのドイツは最大の非難の対象だった。ヒトラーは「ナチスの政敵を虐殺し、ドイツ文化の源泉たる学者を殺し、幾多の文献を焼却」したからである。
 対する日本は、加藤にとって帝国憲法を戴(いただ)く「デモクラシー」国家だった。加藤は二大政党制を擁護する。「憲政常道論は選挙に依(よ)って国民に多数の支持を得た多数党が、陛下の御親任を拝すると云(い)う所に其(その)根底があるのである。政治上の不満は其政治の遂行上に無理があり欠点があったからであって、直に政党内閣の無価値と断ずる訳には行かない」。

VI 新しい政党政治システムの模索
171頁
井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書2012
タグ:歴史 読み物
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ケインズは…バークの文章を引用している [読み物]

 ケインズは「賞賛すべき一節」との形容を付し、バークの文章を引用している。「我々の自然に属する気高く正直な感覚を、もっとも活発で成熟したものへと育てること。我々が紳士であることを忘れないまま愛国者となれるよう、私的生活において愛すべき性格を共和国(commonwealth)にとってのサービスや行為に持ち込むこと。友情をはぐくんだり憎悪をこうむったりすること……。これらを精神において注意深く涵養することが、我々の務めである」。
前掲 『ケインズとハイエク』260頁
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王政は王をすべての権力の源泉とするが、 [読み物]

その支配が法に従って行われる政体である。王の権力を現実に抑制するのが従属的中間権力、すなわち、貴族である。従って、貴族の存在は王政の本性であり、「君主なくして貴族なく、貴族なくして君主なし」というのが、王政の大原則である。このように王政は身分制的編成を伴ったものである。また、法の支配を維持するために「法の登録所」が存在し、王から独立して基本法の擁護者となる。高等法院は「法の登録所」の代表例と考えられる。王政の原理は野心に基づく「名誉」であり、各階層が野心と特殊利益とを求めて活動しつつ、結果として共同の利益の実現に寄与することになる。名誉は他者への優越、高貴さ、率直さを特徴とし、王もそれを尊重する義務を負う。この「名誉」概念は「無秩序の秩序」を生み出すものとされ、「見えざる手」という概念の先駆的現れである。

II 政治権力 モンテスキュー『法の精神』(1748) ――権力の制限と制度へのまなざし より
前掲 佐々木毅『政治学の名著30』ちくま新書2007, 57頁
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スティーヴン・キング [読み物]

立ち往生しかけた。
 こんなことは今に始まったことではなく、これまで何度も経験している。追い込まれてどうにもならなくなった時は、モダンホラー小説の帝王スティーヴン・キングの言葉に救いを求めるのが常である。キングは書き手を励ます。「大切なのは、気分が乗らず、あるいは、手詰まりで書きあぐねたからといって、途中で投げ出してはならないことである。作家は意に添わずとも書き続けなくてはならない。自分では地べたにへたり込んで汚泥をほじくり返しているとしか思えないような時、案外、いい仕事をしているかもしれない」。

あとがき
254頁
井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書2012
政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)

政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)

  • 作者: 井上 寿一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/11/22
  • メディア: 新書



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リフレーション政策が誘発する恐慌 [読み物]

 そのような激烈な景気変動を緩和するためには、政策的な措置としては二つが考えらえる。ひとつは、産業間で労働は移動しないが資本が移動することによってある産業で非自発的失業が生じ、他方で労働に対する需要が過剰になる可能性があるが、それを防ぐため景気が不安定局面に突入する前に、貨幣賃金を引き上げ実質賃金の引き上げを行うのである。だが、市場価格が伸縮的でないのに何が適切な実質賃金であるのかを知るのは容易ではない。
 そこでいまひとつの策が、金融政策により、好況のうちに均衡利潤率に見合うよう貨幣利子率を引き上げること、つまり金融ひき締めである。これをハイエクは、「不況に先制攻撃をかける」と表現する。だがこれも、政治的には容易ではない。その事情につきハイエクは、のちにこう記している。


問題は、近い将来ある程度の失業を覚悟するかまたは、[一時的にそれが避け得てももっとあとにより大量な失業に追い込まれるか二つに一つの選択の道しかない状況のもとで、どうすべきかの答えを迫られているのです。私が何にもまして心配なのは、つぎの選挙のことばかり頭にある政治家たちが往々にして、APRES NOUS LA DELUGE[あとは野となれ………]的態度から問題を引き延ばして、より大量の失業を招く道を選びがちなことです。不幸なことに、かの英紙「エコノミスト」の記者のような論客たちもが、似たような議論を展開して、通貨量の増大がいぜん続いているさなかにリフレーション政策を唱道しているありさまなのです。


 ここでハイエクが嘆いているのは、不況になり金融緩和するようなリフレーション政策がとられがちになるのだが、それはむしろ利潤率と貨幣利子率の乖離を長引かせるばかりで、より深刻な恐慌を招き寄せかねないということである。ハイエクが敵視するのは財政政策というよりも貨幣政策、なかでも貨幣利子率を利潤率と乖離させ誤投資を生じさせるようなリフレ政策であった。このようにハイエクは、賃金や貨幣利子率の硬直性といった仮定が導入されたとしても、市場の本質的な機能は変わらないと見る。仮定をより現実的にしたとしても、ハイエクの資本理論には本質的には付け加えられるものはなかったのだ。
 だがそうしたハイエクの主張は、ケインズには届かなかった。それも当然のことである。というのもケインズが消費財需要の高まりが投資財需要を増加させると考えるのは、短期的に主要産業間で労働移動が生じないとか既存設備の利用はその目的に対し限定されるとか、貨幣賃金や貨幣利子率は硬直的であるといった条件だけからではなかったからだ。銀行融資がなかったとしてもそれ以上に資産市場で資本財産業への投機が行われれば、投資財需要が増加しうるからである。結局「リカード効果」は、ケインズの投資関数を批判するものであったが、資産市場における投機というもうひとつの論点を外した議論というしかない。

第四章 論争後の軌跡―『一般理論』と主観主義へ より
162頁~164頁
松原隆一郎『ケインズとハイエク 貨幣と市場への問い』講談社現代新書2011
<傍点部を、サイズを大きくし更に太字に改めました>

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不確実性を前にした [読み物]

確信のゆらぎと動態にある経済とのかかわりを検討することによって、それまで経済体系の描写で与件とされてきたもろもろの変数が揺れ動く様を描写しようとしたのである。

序章 ケインズとハイエク、再び
19頁
松原隆一郎『ケインズとハイエク 貨幣と市場への問い』講談社現代新書2011
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